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中村一義の音楽に救われた10代|『金字塔』と「永遠なるもの」の思い出

10代の頃、僕には将来への不安や精神的な不安定さを抱え、自分の部屋に閉じこもるように過ごしていた時期がありました。

そんな頃、僕の心の支えになってくれたのが、中村一義さんの音楽でした。

1990年代後半、音楽シーンに登場したシンガーソングライター、中村一義さん。

当時の僕にとって、彼の音楽は単に好きな曲というだけではありませんでした。うまく前に進めない自分にとって、気持ちを支えてくれる大切な存在だったのです。

今回は、僕の青春時代を振り返りながら、中村一義さんの音楽について書いてみたいと思います。

自分の部屋から生まれた音楽「状況が裂いた部屋」

中村一義さんについて語るとき、僕が印象深く感じるのが「状況が裂いた部屋」という場所の存在です。

中村さんはデビュー当時、祖父母の家にあった自室を制作拠点にして、音楽を作っていました。

小学生の頃に両親が離婚し、祖父母に引き取られて育った中村さん。そうした家庭環境や、自分では選べなかった状況が、「状況が裂いた部屋」という名前の背景にあります。

18歳の頃には、大学への進学を選ばず、祖父母が進学費用として用意していたお金を音楽制作の機材に充て、部屋をプライベートスタジオへと改装したといわれています。

そこで一人、楽器を演奏し、音を重ね、曲を作り上げていく。

ギターやベースなどの演奏を録音し、さまざまな音を組み合わせながら楽曲を完成させる。いわゆる宅録と呼ばれる制作スタイルです。

そして、こうした制作環境から生まれた作品のひとつが、1997年にリリースされたファーストアルバム『金字塔』でした。

僕がこのエピソードに惹かれたのは、自分自身も10代後半に、自分の部屋で過ごす時間が長かったからです。

当時の僕は、将来への不安を抱え、外の世界にうまく踏み出せずにいました。

自分の部屋は落ち着ける場所である一方、そこから先へどう進めばいいのか分からない場所でもありました。

そんなとき、自分の部屋で音楽を作り、それを世の中に届けている中村一義さんの存在を知りました。

もちろん、僕と中村さんの生い立ちや置かれた状況は違います。

それでも、部屋の中で一人、音楽と向き合いながら作品を生み出している姿に、僕は勇気をもらいました。

今いる場所からでも、何かを生み出すことはできる。

当時の僕にとって、そのことが大きな希望になっていたのだと思います。

なお、「状況が裂いた部屋」があった祖父母の家は、現在は解体され、残っていないそうです。

建物はなくなっても、そこで生まれた音楽は今も聴くことができます。

そう考えると、音楽には、その場所や時代を越えて残り続ける力があるのだと感じます。

ファーストアルバム『金字塔』の衝撃

1997年6月、中村一義さんはファーストアルバム『金字塔』をリリースしました。

独特な日本語の響き、印象に残るメロディー、さまざまな音が重なり合って生まれる豊かなサウンド。

当時の日本のロックシーンに登場した中村さんの音楽は、多くのリスナーに強い印象を残しました。

『金字塔』には、「犬と猫」「ここにいる」「永遠なるもの」などの楽曲が収録されています。

僕が惹かれたのは、単純に明るいとか、かっこいいとか、そういう言葉だけでは表せない魅力でした。

独特なサウンドの中に、孤独や不安を抱えながらも、何かを信じようとするような力強さを感じたのです。

当時の僕は、将来のことを前向きに考えられるような状態ではありませんでした。

だからこそ、中村一義さんの音楽が心に響いたのかもしれません。

音楽を聴いたからといって、目の前の悩みがすぐに解決するわけではありません。

それでも、好きな音楽があることで、少し気持ちが楽になることがあります。

僕にとって『金字塔』は、そんな音楽との出会いを思い出させてくれる作品です。

まだ聴いたことがない方は、ぜひチェックしてみてください。

金字塔[デジタル配信] – 中村一義 – UNIVERSAL MUSIC JAPAN

ソロ活動から100sへ

中村一義さんは、初期のソロ作品で独自の音楽世界を築き上げた後、バンドでの表現にも取り組んでいきます。

2000年代には、池田貴史さんらとともにバンド「100s(ヒャクシキ)」としての活動を本格化させました。

一人で楽器を演奏し、音を重ねて作り上げる初期の作品と、メンバーとともに演奏するバンドの音楽。

表現の形が変わっていくのも、長く活動を続けるアーティストを追いかける楽しさのひとつだと思います。

その後も、中村一義名義での作品発表やライブ活動を続けてきました。

若い頃に出会ったアーティストが、その後も音楽を作り続けている。

自分が年齢を重ねてから、改めてその音楽に触れられるのはうれしいことです。

若い頃には気づかなかった歌詞の意味や、音楽の聴こえ方の変化を楽しめることもあります。

補足:池田貴史さんは「レキシ」としても活動

池田貴史さんは、中村一義さんらとともにバンド「100s(ひゃくしき)」のキーボーディストとして活動していました。

また、ソロプロジェクト「レキシ」としても知られています。日本史をテーマにしたユーモアあふれる歌詞と、ファンキーなサウンドが特徴です。

中村一義さんの音楽を通じて池田さんを知った方は、レキシとしての活動も聴いてみると、また違った魅力を感じられるかもしれません。

参考:レキシ公式プロフィール

大人になった今、聴き返す中村一義の音楽

10代の頃に聴いていた音楽を、大人になってから聴き返すと、不思議な気持ちになります。

イントロが流れただけで、当時の部屋の空気や、その頃に抱えていた気持ちがよみがえってくることがあります。

中村一義さんの音楽も、僕にとってはそんな存在です。

当時は、目の前のことで精いっぱいでした。

先のことを考える余裕もなく、毎日を過ごしていたように思います。

けれど、時間が経った今、あの頃に聴いていた音楽を振り返ると、苦しかった記憶だけではなく、音楽に支えられていた自分の姿も思い出します。

あの時期があったからこそ、今でも大切に思える音楽がある。

そう考えると、当時の自分にとって、中村一義さんの音楽と出会えたことは大きな意味があったのだと思います。

音楽の感じ方は人それぞれです。

僕が救われたからといって、誰もが同じように感じるとは限りません。

それでも、ある時期の自分を支えてくれた音楽は、何年経っても特別な存在であり続けるのだと思います。

中村一義「永遠なるもの」を聴いてほしい

最後に、今回紹介したい曲が「永遠なるもの」です。

ファーストアルバム『金字塔』に収録されている楽曲で、僕にとっても中村一義さんの音楽を語るうえで外せない一曲です。

まだ中村一義さんの音楽を聴いたことがない方にも、ぜひ一度聴いてみてほしいと思います。

中村一義「永遠なるもの」ミュージックビデオ

音楽には、人生を劇的に変えるような力があるのかもしれません。

でも、もっとささやかに、つらい時期を過ごす自分のそばにいてくれることもあります。

僕にとって、中村一義さんの音楽は、そんな存在でした。

あの頃の自分を支えてくれた音楽に、今あらためて感謝したいと思います。

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